学校のドこれらに関してまず考えなければならない

父親は残業もある

育てなければならぬであ
つまり人間として成長させるために教育するのか知識を教えることを教育とするのか、この差です知識を教える者が教えるのはテクノロジーとしてよろしい。しかし一方で、じいちゃん、ばあちゃん、隣のおじさん、おばさんが、お前、こんなことしちゃいかんよとか、あるいはこんなもんだよって、そういうことをずっと教育してきた。それがいまは欠落してしまって、それに代わるべきものがないことが、とくに幼年教育の一番大きいポイントになっているのです。それをぜひやって欲しいと思う。
やらなければ、日本は立ち直れません。

がまんして学校へ行くぐらいならやめてしまえ

私はよくいやならやめろ!と言うんですが、いやならやめろというのは、学校教育がいやだから教育をやめろというものではなくて、例えば、ある志を持ってある学校へ行ったとする。しかし、ここの教師の考え方とかその学校の基譑なフィロソフィーが自分のものと違う、それでもいったん入ったんだから、妥協しながら卒業しようかっていう考えを、それはいけませんよと言いたいのです。

平均的バイオ技術があれば、どこでもつくれるのですだから大切なことは、例えば、バイオ技術で人間が生命をコントロールして、本当に人類が幸福になれるのかどうかということを論じなければならない。これはやはり教育です。法律で決めたからそれがなくなるというものではないのです。
だから、生命の領域に自然科学が入ったときに、高度な道徳という意味から考えて、人間の幸福というのは一体なんだろうかということを考えなければならない。

生命とは一体何か?
るいは反対だと言うのはいいけれど、先の環境の話でも一緒です。何も知らないで、勝手にわけの分からんやつの話をちょっと聞いてワーワー、ワーワー言う。これが一番恐ろしいんです。だから、そういうことをやはり教育の基本において欲しい。
こういう哲学を一人ひとり思考して、その上で自分の信念で賛成とか、あ神様は人間に、一方ではを、もう一方では道徳というものをお与えになった。
学校に登校しないことも認める必要がある

子供が見つけ出されたかも知れない

人間から欲を取ってしまったら、人類はいっぺんに滅亡してしまいます。競争もしない、性欲もなくなる、食欲もなくなるから。だから、人間にとって欲は絶対に必要。しかしそれが一方的に進行すると、必ず人類は滅亡する。やはり道徳というものと欲というものの微妙なバランスにおいて、人類というのはつながっていっているのです。
これが教育の基本中の基本です。この辺のところをいまは何にも教えていない。大人になってからいろいろ痛い目に遭って、
1けだけでいいんだろうかとか、あるいはただ人のためだけにやってたら、自分は一体どうなるんだろうとか、いろいろ悩みながら、ようやくいい年になってからそういうことを考える。そんなことでは手遅れなんですそういう基本になることは本人の決めることであって、こうだよと決めつけるのと違う。

母親は何も語っていません。


子どもだったのです。

私の言いたいのはこういうことがあるよこれやったらこういう問題があるしかしこんないいこともあるよこれはどのへんがバランスポイントだと考えるかそれを選択できるのが、その人の個なんですそういう教え方というか考え方を、私は教育に活かして欲しいと考えてるんですそういう意味では、シルバーティーチャーこそ、いま最も必要だと思います。ある程度人生経験をして、子どもにいくつかの選択肢を与えられる力は、そう若くてはなかなかできません。ある程度の人生を経て、体力がある。そういう人が初めて本質的な問題提起ができる。
それを行政的に言うと、経験論イコール教育者ではなくて、教育技術を積み上げ、そして資格を持つた人が教育者だと言ってる、ここが私とは違います。
子どもながらに感じ始めるのです。

学校か何かにやってみるがいい。

つまり人間として成長させるために教育するのか知識を教えることを教育とするのか、この差です知識を教える者が教えるのはテクノロジーとしてよろしい。しかし一方で、じいちゃん、ばあちゃん、隣のおじさん、おばさんが、お前、こんなことしちゃいかんよとか、あるいはこんなもんだよって、そういうことをずっと教育してきた。それがいまは欠落してしまって、それに代わるべきものがないことが、とくに幼年教育の一番大きいポイントになっているのです。それをぜひやって欲しいと思う。
やらなければ、日本は立ち直れません。

がまんして学校へ行くぐらいならやめてしまえ

私はよくいやならやめろ!と言うんですが、いやならやめろというのは、学校教育がいやだから教育をやめろというものではなくて、例えば、ある志を持ってある学校へ行ったとする。しかし、ここの教師の考え方とかその学校の基譑なフィロソフィーが自分のものと違う、それでもいったん入ったんだから、妥協しながら卒業しようかっていう考えを、それはいけませんよと言いたいのです。

先生はどうしてそんなに若いんですか?


両親の話によれば
それは、自分のフィロソフィーに忠実になって、自分の納得する道を歩みなさいということであって、日本の国がいやだから日本人をやめるとか、教育そのものがいやだから教育をやめるとか、親が子どもの世話をするのがいやだから育児を放棄するとか、そういう問題ではなく、自分のフィロソフィーというものを確立させることによって、そのフィロソフィーに忠実に生きなさいということを私は言いたいわけです不登校や引きこもりも問題になっていますが、いまの教育は、例えば特定の学校というものがあって、そこへ毎日行って、別に自分が選んだ先生でもない先生が来て、自分が選んだ学科でもないのを強引に押しつけられてというのが学校であって、そういう学校へは行きたくないだろう、と言ってるわけです。
学校のドこれらに関してまず考えなければならない

教育における諸悪の根源

そんなもの、いやならやめろとね。
その代わり、それに代わるべきものとして、前に言ったような放送大学に似たようなものがあって、自分が好きなときに好きなものを勉強する。しかし、やがてその人も社会人として世の中に出て、食べていかなければならなくなる。そのために必要なものをいま身につける。なるべく自分の好きなものを身につけて、それに正当な評価を得られれば、その人はそれなりの職業を選べるというふうに切り換えていくことにより、不登校というものを世の中からなくしてしまわないといけないわけです。