子供たちは浩宮様であろうと誰であろう

教育者が持ってごらんなさい。

才能を有していれば自然
男子三日会わざれば刮目して見よとも言います。ただ、ハッキリ言って、この世代が今後どうなるかわからない。私は、偏差値世代の社員をそのまま使う会社はいずれつぶれていくと思いまかつもくあらゆる科目で七0点とか八0点の人間を、例えば1000人集めても、八〇点以上にはなりません。
しかし、ある分野において100点、ある分野で110点のAという人がいるとします。この人の平均点は六0点です。しかし、そのAという人の100点のところはそのままで、二0点の分野に100点を取れる能力のあるBという人間を呼んできて、AとBの二人で仕事をさせたら、一00点·100点になります八0点の人間が一000人いるよりは、一00点,二0点、きたほうが、はるかにレベルは高くなるわけです。
二0点·一00点の二人の人間を呼んでだから偏差値世代でこれから戦うのには、ただ量でいく商売以外にはないわけです。質の勝負は個性の豊かな人材いかんにかかってくる。

そこまでしなかったら、行きたくないと言ってる子どもに、「まあ、お前そう言わんと、世の中はそういうもんじゃない。しんどいこともあるけど、何とか行ってくれ」なんてことを言ってても、絶対そういうことは解決しません。ますます不登校が増えてくる。学校に行きたくないと言うなら、いやなら、やめろも、私は一つの意思表示だと思う。「先生、こんなつまらない講義を聞かされて、ガタガタ言われることないじゃないか」というのも立派な意思表示になるんですしかし残念なことに、社会ではそうしないといけないと誰かが決めてるんであって、それは決していいことではない。好きなことを好きなように家で勉強できるようなシステムをつくってあげないといけないわけで、そうすればその人も、もう一歩進んだりできるんです。
子どもながらに感じ始めるのです。

母親の睡眠時間が三十分減らされる

自分の好きなものに興味を持ち出したら、何も特定の学校に行く必要もないんですが、いずれにせよいまの社会というのは、やはりどこの大学出ましたか?とか、どこの高等学校出ましたか?ということを問題にします。日本標準の評価システムができたら、東大も京大も慶応もないんです
要するに日本一律の評価基準。例えば、この学問に対してはトリプルAですよとかダブルAですよこの人はそれだけの能力がありますよ、その理由はこういう試験においてこれだけの能力がありますよと、それがすべてです。何も東京に下宿して、東京の大学に通ったりしなくてもいいんです。

偏差値世代の親が日本の今後を左右する

いまの子どもの親はといえば、んです。
ちょうど偏差値教育の世代です。
まずマニュアルありきで、画一的な日本は高度成長期からTQC全社的品質管理が急速に進みました。

母親がついて行くという話はさきほども述べた。


子供を信頼していたのかもしれない。

およそあらゆる製品で、世界の品質を確保できたのはそのおかげです。梱包を開けて電気を入れたらすぐに使えるのは、日本製しかないと世界中から喜ばれた時代も間違いなくあったのです。
結構なことだったんですが、その人間のTQCが、つまり、質管理してしまったんです何を間違ったのか、日本の教育は、人間の品質管理までやってしまった。
偏差値です。長さがいくら、奥行きがいくら、何がいくらと、全部、品TQCを施された人間は、確かに安心感があります。どの分野でも、滅茶苦茶ひどいということはない。しかし、何の特徴もないのです。特徴のないことが特徴という人間を、偏差値教育が生み出したんです。
偏差値世代に対しては、私の会社でも個性教育をしていますし、いつまでもそのままではないと信じています。
母親の役目外で活動する

子どもに見せなくて八ナなー。

男子三日会わざれば刮目して見よとも言います。ただ、ハッキリ言って、この世代が今後どうなるかわからない。私は、偏差値世代の社員をそのまま使う会社はいずれつぶれていくと思いまかつもくあらゆる科目で七0点とか八0点の人間を、例えば1000人集めても、八〇点以上にはなりません。
しかし、ある分野において100点、ある分野で110点のAという人がいるとします。この人の平均点は六0点です。しかし、そのAという人の100点のところはそのままで、二0点の分野に100点を取れる能力のあるBという人間を呼んできて、AとBの二人で仕事をさせたら、一00点·100点になります八0点の人間が一000人いるよりは、一00点,二0点、きたほうが、はるかにレベルは高くなるわけです。
二0点·一00点の二人の人間を呼んでだから偏差値世代でこれから戦うのには、ただ量でいく商売以外にはないわけです。質の勝負は個性の豊かな人材いかんにかかってくる。

母と子のよい対話というのは話がはずむ!


勉強という
ところが、これまで日本の会社というのは、ある一分野なら相当優秀なのだけれども、ほかはどうもよくないという人がいると、あえて得意分野には配慮せず、不得手な分野で能力を引き伸ばそうと教育をしてきたのですつまり、ジェネラリストを養成しようとしてきました。
どこででも使えたほうが便利という考え方なのでしょう。
これは経営者の立場からすると、部品としてというのは、社員一人ひとりの特徴を見て、それぞれもっとも適したような場をつくって与えるということは、会社にとってしんどいことだからです。それよりも部品として、どこでも共通部品で、こ,が抜けたと言ったら、お前、ここへ行ってくれという態勢にしておいたほうが楽です。
だから技術屋が営業部長になったり、りません。
何でもするようになる。
育てることが大切です

母親の役割になっては台所でがちゃがちゃと食器の音

経営者としては、そのほうが労力がい競争していても、日本国内でお互いがみんなそうやっているうちは、それでも結構やっていけたのでこで私が言いたいのは、日本だけで、なあなあでやっていた時代は終わってしまったす。しかしということです。
外国から、それこそビル·ゲイツのような人物が戦いにきたら、日本でも、たとえ奇人変人であろうとも特徴を持った人間を育てていかないと、やられてしまいます。現に、いまソフトの世界では、日本は大苦戦です。システムの標準化の分野でも日本はやられています。