Press "Enter" to skip to content

ミラノを州都とする北

ローマ帝国の各地で見ることができ

そして、アトリで触れた古代ローマ時代に造られた海底に沈んだ港もさらに追加した。「その港の写真がありますか」とイエッツィ氏に尋ねると彼は先ほど贈呈してくれた本を指し、そこに載せてありますと誇らしげな口調で教えてくれた港の場所は航空写真でわかったが、海底の様子は柱の一部や石が横たわっているだけで、残念ながらあまりよくわからなかった。だが、海中写真の中で横たわる数々の石こそ、古い歴史の生き証人であり、当時の繁栄をしのぶことができるものなのだ。一方、海から敵を見張る石積みの要塞は、「陽の沈むことなき」といわれた大帝国を築き上げたハプスブルク家の皇帝カール五世が一六世紀に建てたものだった。この要塞は、当時は10キロメートル間隔で111棟もあったという。

ローマ帝国がイタリア語

アドリア海から侵入しようとするトルコ軍を監視し撃破するために必要だったのだ。現在は四棟だけ残っている。ドイツやロシアの観光客も訪れるビーチ市庁舎を出て、目と鼻の先の砂浜を案内してくれた。アドリア海のパノラマが広がり、どこなまでも屏風のように立ち並ぶ松林のプロムナードが続いていた。白砂青松とはこのことである夏になると、広い砂浜にはビーチパラソルが等間隔に整然と続くという。

 

イタリア人の生活もこの数十年はすごい勢いで変わってきている

左手でハンドル、右手でギア·チェンジしながら曲芸のように携帯電話を使われては、助手席に座っている方としては冷や汗ものだ。携帯電話を使って運転中に追突してしまった例も見たことがある。ただ、便利さの余り、レストランでも、会議中でも所構わず電話がかかって来るとなると、話の腰を折られることもしばしばで、白けてしまうし、こうなるともはや公害に近い。最近では教会でお説教の最中に神父さんに電話がかかってくるので、バチカンが説教の最中には携帯電話のスイッチを切っておくように通達を出したという新聞記事も出たくらい。話好きのイタリア人が携帯電話を知ってしまったのは、禁断の果実を与えられてしまったアダムとイブのようなものである。
イタリアが南北二つに分かれ

イタリアがPルKで決勝を争ったのもまだ記憶に新しぃところだろうし

便利ではあるけれど、そろそろ使い方のルールをイタリアでも決める必要があるかも知れない車を運転中に携帯電話を使用することは、既に法律で禁じられており、うっかり携帯電話を使いながら運転中に警察に見つかれば罰金ものなのだが、そう一筋縄ではゆかないのがイタリアである。未だにあちこちで、運転中に携帯電話を使っているのはよく見かける光景だ。規制されるのが嫌いなイタリア人だから、やはりイタリアでは個人個人がそれぞれ個性的な(勝手な?)使い方をするのが国民性にあっているのだろうか?イタリア人と聞くとすぐに思い浮かぶのは、身ぶり手振りで表情豊かに話しているといったイメージではないだろうか。言葉は悪いが、口から生まれたのではないかと思う位によく喋るのがイタリア人なのだが、手も口ほどに物を言い、とばかりに手を使って喋りまくる芸当は、我々日本人にはちょっとまねが出来ない。テレビを見ているとよく判るが、バラエティ番組の司会者が全身を使って司会をするのはともかく、天気予報やRAIのニュースキャスターも、じっとテレビカメラを見つめてお行儀よく座っているようなことはしない。

ローマを訪れたら

まず、彼はエルサレム王の娘イザベルを結婚相手に選んでいる。愛する婪のために故郷のエルサレムを再現しようと約束したと考えるのは飛躍しすぎかもしれない。だが、十字軍遠征で戦うことなく語学を駆使した無血の「聖地奪ELを成し遂げたフェデリコ二世としては、この「聖地」と同じような都市造りをしたいと考えるのは突拍子もない発想とはいいきれないだろう。ローマ法王と全面対決するにあたり、フェデリコ二世は優秀な人材をキリスト教徒だけにこだわらず、イスラム教徒であろうとユダヤ教徒であろうと、能力があれば国家官僚に登用するらつわん辣腕であった。さらに、財源がなくては話にならない。

ローマに居るのが当然という考えもあったでしょう

そこで、ラクイラ周辺を繁栄させるためにビジネスをどんどん展開していく。そのビジネスについては後述したい。そんな頼もしい皇帝フェデリコ二世に思いを馳せながら市内を散策した。だが、車はおろか人影がほとんどなかった。震災からすでに11年も経過しているのに人が住んでいる様子がないのだ。