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ペルージャに残ったペルジーノは、外界の激動など無関係であるかのように、ひたすら優美で穏やかな作品を作り続けた

パレルモはアラブ人というあらたな主人を迎えた

一五三〇年にルイジ·ダ·ボルによって書かれた物語(GiuliettaeRomeo』)では、舞台もヴェローナに、そして主人公たちの名前もロメオとジュリエッタになった。ア」恋の事件当時は、スカリジェリ(ラ·スカーラ)家がヴェローナを事実上支配していた時代にあたる。同家の歴代当主の中でも傑出した人物カングランデ1世は、領土拡張に成功して街の外側にあらたな城壁を作り、ヴェローナの最盛期を演出した。しかしその繁栄の裏では前述したような二派の抗争が続いており、そのどこかで引き裂かれた恋人たちが実際にいたとしても不思議ではないだろう。駆けつけた父は、娘が氷よりも冷たくなっていることを知った。

お気に入りのイタリアのお土産

ローマを支えてゆくようになるのです

二巻第九話、筆者訳)(マッテオ·バンデッロ、『LeNovelle[小説集]』、第レオナルド·ダ·ヴィンチがミラノで最後の晩餐>を描いていたとき、そこを訪れた少年バンデッロは長じて有名な小説家となった。彼は遠い記憶を辿って、レオナルドの仕草まで私たちに教えてくれてもいる。そのバンデッロの代表作となった一五五四年の『小説集』は、フランス語訳された後に英語版まで出版される成功をおさめた。四年後にシェイクスピアが世に出した悲劇は、まさにこの英訳本を下地にしたものである。もっとロマンチックにもっと悲劇的に。

 

イタリア文化会館元館長ドナーティ氏から、この町の有力銀行の頭取ディ·ニージオ氏と、市長ディ·ブリミオ氏を紹介されていたのでさっそく連絡を取った

そう、今でもユダヤ教徒の間で行われる、しかしパウロはこの割礼を強制しなかったのです。これがゆえに、これだけ世界中にキリスト教が布教したといわれております。男児幼児に行われる割礼。そしてこのような迫害から逃れるために、キリスト教徒は世界中にちらばり、そして世界中に布教が広められていくのでした。また迫害されて殉教したものたちは、聖者と呼ばれるようになり”アトリビュート”と呼ばれる象徴するものをそれぞれ持ち、またそれぞれのエピソードに絡んだ物の守護聖人となっていくのです。

ラクイラの市民の誇りであり、世界の人びとを温かく迎える聖母マリアであることに変わりはないこのように、これから先紀元後395年のローマ帝国東西分裂、そしてキリスト教を国教として認めるまでの長い歴史は、ローマ帝国によるキリスト教迫害の歴史となってゆくのでした。ネロ3768時は紀元後37年、日本はやっと中国史に倭国として登場し始めた頃です。第4代ローマ帝国皇帝クラウディウスの5度目の結婚相手は、こちらも3度目の結婚をなすアグリッピーナ。彼女は連れ子とともに皇妃ととなるのでした。そしてまもなくクラウディウス帝は死亡。

ミラノの市内にある記念墓地チミテロ·モヌメンターレ

「紙の音楽ホール」から流れる音色は、ラクイラ人びとにこれからも力と癒しを与えるだろう。最後にホテルのオーナーが、この町の近くにあるマドンナ·ダパリ教会」を観に行くといいですよ、と教えてくれた。一五世紀に建てられた教会の由来は、羊飼いの青年に恋をした少女が安否を毎日祈っていた時に、夢の中でこの場所に教会を作るようにと神から「お告げ」があったのだという。思いがけず立ち寄ることができた、小さな教会翌日、さっそく私はパガニカの町を出て「マドンナ·ダパリ教会」を探した。さは予期せぬ風景や名所に出会うことである。イタリアでも最初に困ったのはやはり言葉の問題で、とにかく日常生活のレベルでは英語が通じることは殆どないと思って間違いない

旅のおもしろ道に迷って、もう引き返さなければならないと思った瞬間である。カーブの途中岩壁に張り付くように教会があったのだ。それが「マドンナ·ダパリ教会」であった。切り立った岩壁の脇にスペースがあり、そこに車をとめた。ふと頭上を見上げるとその岩壁の一部がぽっかりとくり貫かれ、そこにフレスコ画が描かれていた。

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