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イタリア人も相当せっかちな筈だが、誰を見てもそうイライラしている様子に見えないのは不思議だし同様の状況に陥った日本人との大きな違いであろう

ローマ帝国東西分裂

ローマ皇帝ハドリアヌスによって建設された、オリンポスの神を祀るための神殿

筆者はここに、シエナと奈良、ボローニャと名古屋といったペアを加えても良いように思っている。町ごとの特色が強いのは、本書の冒頭で述べたように、なによりも景観が異なる点が大きく作用している。実際、町にはたいてい、その町を代表する広場と大聖堂がある。それらは町のシンボルであり、写真が1枚あればかなりの人が町名を言いあてることができる。こうしたシンボルが、塔や橋であることも多い。

情熱の国スペインのお土産と言えばこちら

イタリアの町中では実用的と見えて、ミネラル·ウォーターの配送や、ポスター貼りの作業車、それに

「郷土愛」を指す用語が、「鐘楼(campanile)」から派生した「カンパニリズモ(Campanilismo)」であることは象徴的だそしてほとんどすべての町にサッカーチームがあるため、何層にも分かれたセリエ(リーグ)内での戦いに、日本における夏の高校野球とよく似た地域ナショナリズムを見ることができる。町の景観が保たれている理由としては、古いものを壊さないことのほかに、その地域の建築家を好んで起用したという傾向が挙げられる。こうして、フィレンツェは初期ルネサンスの大建築家ブルネッレスキの町となり、ローマはバロックの天才ベルニーニの町となった。そしてこうした事例の最も顕著な例を、私たちはヴィチェンツァという町に見ることができる。そこは、スの巨匠パッラーディオによる建築物がひしめく展示場、まさに「パッラーディオの劇場」と言ってよい。

 

ローマ帝国の流れを引くビザンチン帝国が北

どこの駅でも電光掲示板で自分の乗る列車の発着案内を表示しており、この写真はフィレンツェ·サンタマリア·ノヴェッラ駅(中央駅)の案内板です。”Partenze”(パルテンツェ)と書いてあるのが出発案内、..Arrivi”(7リーヴィ)は到着案内ですのでお間違えなく。ここに列車の種別(AVとあるのが高速列車)、列車番号(乗車券にプリントされている)、行き先、出発時刻、遅れがある場合は何分くらい遅れるかが表示され、途中停車駅の案内の更に右に何番線から出発するかが表示されます。ちなみにホームはイタリア語でビナリオ(binario)と言います。ちなみにイタリアの駅で列車の到着のアナウンスは定型パターンで決まっており、以下のように放送されます。

ミラノの夏の風物詩などというとロマンチックに思えるかも知れないが、真夏のIltrenoFrecciaRossa9690,provenienzadaMilanoCentraleaRomaTerminie’inarrivoabinario13,Attenzione!Allontanarsidalineagialla.(イル·トレーノ·フレッチャ·ロッサノヴァンター·ノヴァンタ、ブロヴェニエンツア·ダ·ミラーノ·チェントラーレ·ア·ローマ·テルミニ·エ·イン·アリーヴォ·ア·ビナリオ·トアテンツィオーネ!アロンタナルシ·ダ·リネア·ジャッラ。訳:ミラノ中央駅発ローマ·テルミニ駅行きのフレッチャロッサ9690列車は13番線に到着します。注意してください!黄色い線から離れてください。上記で下線をした部分が、列車によって変わって来ます。なかなか聞き取りにくいと思いますが、何度も聞いているうちに慣れて来るので、行先と発着番線に(「ビナリオ·トレディチ」(Binario13)注意して聞くことですね。

ローマ帝国、そしてフランス系のアンジュ一家と次々と変わり、15世紀にはスペインが直接支配、そして18世紀にはオーストリアによる支配と複雑な歴史をたどりました
イタリア語を聞くように自分を仕向けたが、この時に役に立ったのが小型のラジオだ

フィレンツェの町があれほど豊かになった理由の一つに、この地方が貢献していたことが挙げられるからだ

愛する息子もいるし、このホテルにいられるだけ幸せよ。最後に残るのは愛だけなのよ。これから日本もまだまだ大変でしょう。こんな小さな村でも人びとは日本を応援しているのを忘れないでくださいね。それから日本人の建築家の方が、ラクイラに音楽ホールを造ってくださったでしょう。ヨーロッパ人はどうするのだろう?と、人ごとながら心配していたら、最近入手した英語版


ラクイラ県にある

夫もあの世で感謝していると思います」ここまで話すと急に婦人は目に涙をため始め、夫が心労で震災から1年後に亡くなったということをポツリと告げた。首を少し振りながら、夫が亡くなる直前までラクイラのバラレッティ音楽協会理事長を務めたと誇らしげに語るのだった。そばでホテルのオーナーがこの老婦人をじっと見つめて微笑んでいた。「彼は私の息子よ。あの子が助けてくれたのと彼女は誇らしげにオーナーを指さした。

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